第 6 回 長期的噴火予測 と 歴史的噴火

    今日は教科書プラス・アルファの内容です(指定教科書を読んで、授業を聞いて概要を理解していれば十分なのですが)。しかし・・・猛暑で冷房も効いてなかったためか、授業中に寝ている方が多かったので、授業中に話したことを主なスライドの下に記入しておきます。スライドを見ただけで内容が自明のものには説明文が付きませんので ご了承下さい。

 

 火山噴火・津波・大地震などの予測に使われる名言、先祖からの言い伝えがあります。それが

 

「歴史は繰り返す」(History Repeats Itself)

 

です。TOEFL/TOEIC に 必要なだけでなく、知ってて当たり前の英語表現です。

 

 この事に懐疑的な人が使う表現が、

 

That's History.

 

なのですが、これは 浮気など、「過ぎた事だよ。」「終わった事さ。」と、昔の過失に対して開き直ったり、(以前の自分と今の自分は違うので)「同じ過ちは繰り返さないよ(本音=昔の事をグチグチ掘り返すなよ)」というときに使います。

 

 性善説の方は こういった言葉を聞くと、納得してしまうのですが(日本人の大半はこのタイプだと思いますが)、欧米の映画やTVドラマを観ていると、

 

(BUT) History Repeats Itself!

(でも)歴史は繰り返すわ!

 

と反論します。大陸の方は3~4千年という長い文明の歴史を持っていますから、戦争でも災害でも、過ちを犯そうが同じような事が何度も繰り返し起こってきました。だから、性悪説の人に限らず、信用できない相手に対しては、

 

(歴史上の偉人、大国家だって過ちを繰り返すじゃない、だから)

「また同じ過ちを犯すに決まっているわ!」

と すかさず反論します。こう言われると、浮気や罪を犯した方は言い返せない、というのが映画・ドラマのパターンです。

 

便利な英語表現ですが、これらの表現を使った会話がピッタリくるのが以下の方々。

 

↓ 浮気を繰り返すので有名な プロゴルファーの タイガー・ウッズ と 奥さん(結果、離婚しちゃいました)。この連続不倫スキャンダルで 大企業のスポンサー数社も失ってしまいました。

 

↓多分、火山噴火の周期性並に規則正しく歴史(浮気)を繰り返す絶好例は、ハリウッドの大女優、グウィネス・パルトロー でしょう。1年前、People誌から「世界で一番美しい女性」に選ばれましたが、翌月、大衆誌の Star からは「ハリウッドで最も嫌われている女性」に選ばれています。

 

 もの凄い男性遍歴・不倫の数々(ほんの一部しか載せてませんが)↓

 

 今年3月に離婚手続きに入ったと発表した(元)夫の Chris Martin との会話は きっと こんなものだったのでしょう。↓

 

 日本にも居ましたよ。こういう方が(下のスライド↓)。もともと(良くも悪くも)世間を騒がせる方(歌姫)だったのですが、発端となる大事件(郷ひろみ との婚約破棄)は彼女が20代半ばの頃(いまから20数年前、バブル期の頃)。その後も(現在に至るまで)同じようなスキャンダルを規則正しく繰り返しています。その郷ひろみ も松田聖子以上にスキャンダルの多い方、というのが数年後に発覚しました。どっちもどっち だった、というのが多くの日本国民の見解です(後世への伝説・伝承となるでしょう)。お二人ともお幸せに。

 

火山噴火も「歴史は繰り返す」 

 

 日本では昔から一般の人々の間でも、火山の噴火周期から次の噴火を予測していました。台風でも洪水でも発生周期がありますから、火山についても同じように考えたのでしょう。これは一見素人予測のようですが、中規模噴火を数年~数十年おきに繰り返す火山の場合、結構当たります。火山の噴火サイクル、例えば、マグマ溜まりが充満する→マグマ溜まりの上昇と隆起→噴火(マグマ・溶岩・ガスなどの放出)→マグマ溜り・山体の収縮→マグマ溜まりの充填開始→、といったサイクルをこの周期で繰り返すからです(ただし、このサイクルの途中で、ハワイ式、ストロンボリ式など、小~中規模の噴火を起こす火山もありますが)。

 

 こういったマグマ溜りの充填→噴火のサイクルを考える場合、前回の噴火、その前回の噴火も覚えている必要がありますから(古文書など、一般の人は読みませんから)、そうすると20年~30年周期(長くとも40年周期)の中規模噴火を起こす火山が経験的によく当てはまる事になります。親・子・孫と3世代を考えると、40年~80年で3回噴火が起こったこと、その3回の噴火の感覚がそれぞれ20~40年だったので、周期性がある事を裏付ける事が出来る事などがあると思います(それより短い周期の物は、小規模噴火とはいえ、危ない火山、溶岩・火山灰などを取り除くのに手間のかかる火山という事になりますから、桜島など、特別な警戒態勢の火山を除き、付近には人もあまり住まないと思います(桜島でさえ、鹿児島市は火口から海を隔てて離れていますし、しかも風上に位置します)。イタリアのストロンボリ島やハワイのキラウエア火山は小規模噴火を例年のように繰り返す絶好例です。

 

 そうやって噴火の周期性がある言われている火山が伊豆諸島の伊豆大島と三宅島で、どちらも約30年周期で噴火していたのですが、三宅島の最後の噴火に関しては、予想が外れて次の噴火よりも十数年早く、2000年に予想規模をはるかに上回る大噴火をしてしまいましたから、これは「予想が外れた例」として、後で取り上げます。

 

 では周期性のある火山、「歴史は繰り返す」(History Repeats Itself)の中規模噴火を30年位の周期で起こしている伊豆大島の例を見てみましょう。

 

 伊豆大島の起こした最後の中規模噴火は1986年で、これは皆さんも授業で数回に分けて既に学んだ通りです。これ以外にも少量の火山灰噴煙や火山弾の放出など、小規模の噴火を起こしていますが、これらは火口から十分離れていれば被害は少なく(降灰による農作物の被害くらいで)、伊豆大島の場合、小規模噴火(降灰)も1990年が最後ですが、火口とその周りの彼方此方からは、今でも小さな噴気(水蒸気の白い煙)がたなびいています。

 そのほかの中規模噴火(火口・割れ目などからの溶岩の流出、ハワイ式噴火~ストロンボリ式噴火など)を列記すると、以下のようになります。

 

 というわけで、伊豆大島は温泉などの観光事業と農水産業といった火山の恩恵を長い間(約30年間)、短い噴火期が恩恵期と恩恵期の間に起こる、という事を繰り返してきました。1986年の噴火で全島民の避難が行われ、東京などの仮設住宅に一時滞在していましたが、その一か月後にはすんなりと帰島をする事になりました。噴火による犠牲者も一人も出さず、まるで噴火に慣れているかのようです。私も伊豆大島には年に10回以上行くのですが、島民の中に1950年ー51年の噴火を覚えている方が多く、火山噴火の知識も豊富なため、避難も帰島も復興もスムーズにいったのだと思います。救助や避難の誘導などにあたった行政の力もすごかったと思います(東京都の島で、しかも東京からも、熱海・伊豆からも それほど離れていませんからね)。

 

 ただし、昨秋は土石流(ラハール)により、多大な被害を被りました。ラハール (火山性の土石流・洪水)については、来週学びます。

 

 そういった周期性を昔(古代~中世)は持っていたのに、ずっと噴火をしていない火山があります。そう、富士山です。逆に、周期性から判断して、いつ噴火してもおかしくない、と考えている学者や一般人の方が昔から居るのです。

 この富士山、1707年の宝永の噴火を最後に、もう300年以上も噴火していないため、1990年代まで日本の多くの小学校で「休火山」(昔は活火山だったけど、活動が鈍くなって、今はもうずっとお休みしている)と教えていました(私も小学校でそう習いました)。しかし、富士山はれっきとした活火山です。なぜ休火山と呼ぶのを止めたのかというと、2000年頃から、富士山の地下やその周辺で低周波地震が頻繁に起こっているのが観測されたり、と火山活動が起こっているのが観測されているからです。

 さて、この富士山の過去の噴火と将来の噴火予測についてですが、皆さんの教科書に上手くまとめられていますので、きちんと読んで下さいネ。東京近辺に住んでいる方が、まず注意すべき火山は富士山です(次が浅間山。大島も風向きによっては東京に火山灰が来る可能性があります)。

 また、もし富士山が噴火したら、静岡など富士の周辺の町々、100㎞風下の東京とその近辺に住む我々に何が起こるのか、先々週の授業でも取り上げましたが、以下のNHKの番組ではCG(Computer Graphics)を用いて見事に再現していますので、是非ご覧ください。

 

 それでは次に、中規模噴火の周期性を使った予想が外れた例を見てみましょう。

 

 周期の観点から言うと、約200年周期の大噴火の例なのですが、皆さんの学んだ雲仙がそれに当たります。1991年に溶岩ドームから小規模の火砕流が発生した際には、44名の犠牲者を出してしまいました。

 

 周期性の事はさておき、1991年の噴火形態と規模について科学者たちの予想が外れてしまった事は非常に残念な事です。科学者として反省すべき事ですし、我々もこの失敗から学ぶべき事は沢山あります。

 

 雲仙のこの噴火はまず山頂付近の溶岩ドームの小さい物が出現し、それが毎日のように成長していた(それを多くの科学者やメディアが観測・観察していた)所から始まります。

 

 噴火形態と規模の予測が外れた理由の一つは、溶岩ドームから あれほど破壊力のある火砕流や、ましてや熱雲サージが発生するとは(火山学者も多分ほとんどが)考えても居なかった、という事です。それまで火砕流は噴煙中が崩壊して出来るものだと考えていましたし、サージはフィリピンのタール湖など、水蒸気爆発で発生する、セントへレンズ山のように山体崩壊に伴って発生するという、比較的新しい事例とだけ結び付け、溶岩ドームとは切り離して考えていたのです。

 

 この大惨事から我々が学ぶべき教訓がこちら。

 

 自分の知っている、実際に経験をした知識だけを使い、将来何が起こるかを考えると、視野を狭め、いろんな可能性を否定してしまいます。噴煙中からの火砕流発生のメカニズムだけを大学などで習った人たちは、「溶岩ドーム?そんな物からは火砕流が発生するなんて聞いたことがない。」と思っていたでしょうし(考えてもみなかった、というのが殆どだと思いますが)、溶岩ドームを専門に研究をしている方の多くも「溶岩ドームから火砕流が発生したとしても、規模のかなり小さい物だろう。焼きたてのパンの皮が破れても、湯気がフーッとしか出ない、あの程度だよ。」と位に考えていたのだと思います。

 しかし、実際にそれが(想定外の事が)起こっているのを目の当たりにすると、最初はビックリし驚愕しますが、いったん落ち着くとハッとなって我に返り、結構冷静に考えられるものです。

  例えば、さきほどのパンの皮が破れて湯気が出てくる例えにしても、

 

「そうか、焼きたてのパンの中に熱が溜まっているだけじゃないんだよね。溶岩ドームは火道でマグマ溜まりとつながっているから、溶岩ドームは大きな かまど(土窯) の煙突を塞いでいるパンのようなもの。そのパンが破れたら、もっと多量の湯気が、もっと熱い煙が かまど (土窯)から煙突を通じ、その先のパンの破れた部分からドッと溢れてくるはずだよ。」

 

と、当たり前の事に気付くのです。

 そうやって反省したのが功を奏したのか、90年代の終わりまで続くこの噴火で、噴火開始直後尾の44名の犠牲者を除き、雲仙からは それ以上の被害者は出ませんでした。

 

 また、日本以外にも、世界各地の活火山で溶岩ドームの成長が見られたとき、火山学者も行政も、「1991年の雲仙の火砕流の教訓があるから。」と住民を避難させるなど、雲仙での失敗から学んだ教訓が役立っているのです。皆さんがビデオで見たモントセラート島の溶岩ドームの形成→火砕流の発生の予測(の的中)と住民の避難が良い例です。

 

 ただ、想定外をきちんと 常に考えていれば、雲仙での犠牲者も出ずに済んだのではないかと思います。福島第一原発の事故もそうです。津波による電源喪失を想定していなかったのです。

 

 このように、科学技術の発達・進歩というのは、

 

「想定外を考える」(Expect the Unexpected)

 

事であると言っても過言ではないと私は考えています。

 

 例えば、以下のスライドは生物(生物統計学)の教科書の表紙の写真ですが、そのタイトルにも Expect the Unexpected が使われています。

 

 私が3年前の 東日本大震災の 2か月後に 東京在住の外国人用に 行った地震・津波に関する講演(英語)に使ったタイトルも、Expect the Unexpected です。こうやって短いタイトルとして使うと、講演だろうと本だろうと、その本質的な内容を理解し覚えやすいだけでなく、何年経っても思い出しやすいのだそうです。災害に限らず、窮地に追いやられた時、悩み 迷った時など、いざという時に思い出し、世の中の皆様の役に立つ事を願って付けたタイトルです。

 

 さて、雲仙普賢岳の1991年の大惨事もそうですが、つい最近まで(福島の原発事故のちょっと後まで)日本のメディアや政治家は(中には科学者も)以下の用語を頻繁に使っていました。

 

 未曽有(みぞう)というのは「誰も予測することが出来ない」(それが転じて「非常に珍しい(悪い出来事)」「今だかって起こった事のないような強烈な」)という意味で、元々は「仏・菩薩による奇跡」などに使われる仏教用語です。それが現在では悪い意味に使われるようになり、火山や地震災害だけでなく、航空機事故などにも使われていました。しかし、この使い方はずるいやり方で、仏教用語という蓑(みの)に隠れ、「お釈迦様でも予測できなかった」(だから私も全く予測すらしなかった)というニュアンスに使われる事が少なくなく、特に大災害や大事故後の航空会社の責任者、政治家、果ては科学者の口から聞くことがありました(それを記載したメディアの記事、テレビやラジオの報道では、さらに頻繁に使われるようになりました)。つまり、未曽有=言い訳 だったのです。

 

 多分、この悪い状況にメディア自身も反省していたのか、3.11の福島第一原発事故から一月以上経った頃から、「想定外」という言葉が使われるようになりました。この「想定外」という言葉も、最初は東電などが言い訳として使っていたのだと思います(確かに最初はそういう言い方でニュースなどで多用されていました)が、「未曽有」という言葉と違い、想定するのは人間ですから、想定外の場合、想定していなかった人間(この場合、東電や政治家など)が悪い、という事になり、責任の余地が含まれる単語です。そうやって長年にわたる東電の手抜きや政治判断の悪さが明るみになると、『想定外』という単語の持っていた「(十分にやるべき事はやったはずだけど)予測できなかった、想定していなかった」という言い訳のニュアンスが、ここ1~2年では「(検討できた、予測できたはずなのに)想定していなかった」という不手際・お粗末なという本来の(科学技術の進歩に逆らっていた、サボっていた、という)ニュアンスになって来ましたが、私はこれは良い傾向だと思いますし、これからも「想定外」という言葉の持つ責任はだんだん重くなってくると思います。

 

 というわけで、皆さんも、卒業研究であろうと、仕事の企画であろうと、想定外を常に考えるように心がけましょう。理系でも文系でも芸術でも 想定外からアイデアが生まれ、我々の生活も守られるのです。まさに Expect the Unexpected です。

 

 では雲仙の江戸時代から現代に至る中規模~大規模な噴火の歴史を見てみましょう(上のスライド)。この中で、特に重要なのは、1792年の山体崩壊と岩なだれです。3週間前に学んだセントへレンズ山の例のように、山体崩壊が起こり、しかもそれに先立って溶岩ドームが出来ていたのです。ちょうど先々週のモントセラート島の例で観たように、溶岩ドームが成長し、火砕流が発生し、(多分サージを伴う)山体崩壊が起こったのです。山体崩壊によって飛ばされた巨大な岩は陸上だけでなく、海に落ちて、今でも多くの島を作っています(下の写真)。

 

 また、これらの巨岩や火砕流の海への突入により津波が発生し(と多分、海水と火砕流が触れる事による水蒸気爆発により、モントセラート島のビデオで見たように、サージも発生して)、これが対岸の肥後の国(熊本)を襲い、島原は ほぼ全滅、肥後でもかなりの犠牲者が出ました。死者は15,000人に上り、このうちの1万人が津波による犠牲者であると考えられています。これは日本史上、最悪の犠牲者数を出した火山災害で、島原大変肥後迷惑 と呼ばれています。この噴火・津波について 火山学の(皆さんの学んだ)基礎知識から知りたい方, 1,991年の火砕流の被害との関連も知りたい方は、こちらのリンク先をご覧ください。一般の人用に易しい言葉で書かれています。

 

http://iwaonkmr.justhpbs.jp/kkyuusizen2.pdf

 

 当時の人口でもこれだけの被害が出ているのですから、現在このような噴火と津波が突然起こったら、数倍どころでは済まない規模の被害が出るのではないかと思います。雲仙の現在の監視体制はしっかりしていますので、注意報・警報や避難勧告など、噴火の少なくとも数日前には対応できると思いますが。

 

 下の写真の手前(右側)の窪地は、1792年の山体崩壊(上の図)で出来た、馬蹄形の爆発跡(カルデラ)です(その奥・中央上部に見えるのは、1991年以降の普賢岳の噴火で出来た谷地形と火砕流が流れた跡です)。岩なだれを伴う山体崩壊を起こしたセントへレンズ山、会津磐梯山、モントセラート島も馬蹄形のカルデラを作っていましたね。ただ、カルデラは定義上、直径が1キロ以上なので、雲仙の爆発跡(眉山)の大きさはカルデラとしては(定義上は)ギリギリです。成因的にはセントへレンズ山、会津磐梯山、モントセラート島の物と同じです。

 

 こうやって見ると、雲仙普賢岳の1991年の噴火(溶岩ドームからの火砕流発生)も決して想定外ではない事がわかります。1792年の噴火でも粘性の高いデイサイト(安山岩と流紋岩の中間)の溶岩が眉山の山頂にドームを作ったわけですし、それに似た溶岩ドームがほぼ200年後の1991年にすぐ隣の普賢岳の山頂に出現したのであれば、最悪 島原大変肥後迷惑 のような災害が起きるであろう事を想定すべきです(実際、ある程度はしていたのかも、それで監視体制が強かったのかもしれませんが)。1991年からの噴火で 山体崩壊が起きなかった事が不幸中の幸いだったと思います。

 

 では次に、三宅島の2000年の大噴火の例を見てみましょう。

 

 伊豆諸島の中での位置関係を覚えておいて下さい。三宅島の一番近く(北西)にあるのが神津島、次が新島です。神津島と新島の間に式根島が入りますが、新島の南西に位置するため、距離的には新島の方が三宅島の方が近いはずです。

 

 その三宅島の真ん中にあるのが、島の最高峰である雄山。西暦2000年の噴火には山頂が陥没し、上のGoogleの画像に見えるように、中央に大きなカルデラが出来ました。このカルデラの形成とその前後の(火砕流のほか、莫大なガス噴出を伴う)壮大な噴火は、火山学者達の予想をはるかに上回るもの、それこそ「純粋に想定外」(?)の噴火だったため、三宅島の2000年の噴火とカルデラ形成の事例は 欧米の大学で使われている火山学の有名な教科書にも登場するほどです(下の図はその教科書からの引用です)。

 

 火山性地震が増える中、ついに噴煙注が立って噴火が始まり、その数日後 噴火が一時期収まったと思ったら、山頂部が数百メートルも大きく陥没し、大きな出来立てのカルデラが口を開けているのが発見されたのです。そんな事になっていようとは、誰も想像だにしていなかった、と当時メディアで報道されていました。以下のNHKのサイトでは、その時の様子を短い動画で三次元的に見せています。

 

http://www.nhk.or.jp/creative/material/c0/D0002011381_00000.html

 

 下の写真は山頂の陥没が始まってから数日後の写真。

 

 下の図は先述の欧米の教科書から引用したものですが、大規模な噴火活動が収まっても、陥没が進み、カルデラが成長し、深さも直径も大きくなっていく様子が描かれています。この図に載っている(時間的な経過)範囲だけでも、山頂からの陥没量(落差)が600メートル、カルデラの直径が1.6キロメートルもありますね。

 

 あと上の図で、カルデラが2000年7月9日からだんだん成長していく様子が右側の断面図だけではなく、左側の平面図(地図)にも記載されています。その際によく注意して観て頂きたいのは、2000年の噴火で出来たカルデラが、今から2,500年前(英語では、2.5 ky BP と記載。 2.5 k year before present の略)に出来た八丁平カルデラ(Hatchodaira caldera: 黒い点線で示されています)とほぼ一致している、という点です。さらに、西暦2000年の噴火前の地形(図の右側に赤い破れ線で示されています)に着目すると、これも(外輪山を持つ)カルデラの地形である事が解りますね。つまり、三宅島山頂(雄山)は様々な大きさのカルデラを過去に何度も作っており、西暦2000年に出来た大きく深いカルデラでさえ、実は2500年前にも出来ていた、そしてそれがその後の噴火で充填されていた(見えにくくなっていたが、八丁平カルデラという名前が付いているように、以前から十分に研究され知られていた)という事なのです。つまり、2000年の大噴火でカルデラが出来た事は、決して(完全なる、あるいは純粋な)想定外ではないのですよ。

 

 一方、三宅島の この西暦2000年の大噴火に伴う火山(とその地下の)挙動は、今までの火山噴火の予想に大きく反するもので、そういう意味では科学者たちの予想を裏切った、前代未聞の噴火だったと言えます。この事については、皆さんの読んでいる指定教科書に詳しく記載してありますが、以下に図を引用して見てみましょう。

 

 三宅島の地下からマグマが上昇し始め、2000年7月8日の三宅島雄山山頂噴火の12日前にあたる6月26日から弱い火山性地震が観測されはじめたので、差し迫る噴火に対して準備が進められようとした頃、ここで予想に反し、マグマがなんと神津島の方向へ移動し始めたのです。三宅島の陸上のほか、海底も地震が多発し、雄山の最初の小規模噴火(同年7月8日)の約10日前(6月28日)には三宅島西岸の直ぐ沖で海底噴火も起こりました。三宅島本体は、というと、7月8日になって噴煙柱を伴う小規模な噴火が始まり、7月10日には噴火が大きく(それでも噴煙中の高さは8 km と小規模)となり、8月14日の噴火では噴煙柱が高度14キロに達しました。火砕流が発生したのは同年8月29日ですが、異例の低温低速の火砕流だったため、海岸の集落を飲み込んだものの、避難に遅れた人は家屋の中などに隠れ、隙間から入ってくるガスなどに苦しんだものの、犠牲者が出ずに済みました。

 

 山頂付近の陥没によりカルデラの形成が始まったのは、最初の噴火の7月10日からで、8月中旬までに(先述の欧米の教科書のように)直径1.5キロまで成長しています。三宅島はその後数年に渡り、多量の火山性ガス(二酸化硫黄など)を出し続け、今でも(量が随分減ったとはいえ)ガスの噴出は続いています。三宅島の噴火の経緯は現在の状況にいたるまで、気象庁のホームページにまとめられています。火山噴火予知連絡会の予想が外れ、「噴火が収まった。」という誤報を出した後に(カルデラ形成に至る)雄山山頂の噴火が始まった、という行政側・学者側の大失敗が、気象庁のホームページとはいえ、きちんと書かれています。

 

http://www.seisvol.kishou.go.jp/tokyo/rovdm/Miyakejima_rovdm/miyakejima_hist.html

 

 この放出されたガスの量、かなりの量で、日本が一年間に工業的に生産する二酸化硫黄の量をはるかに上回るほどで、これに関しても火山学者は予想していませんでした。このため、マグマだまりの横への移動とカルデラ形成の謎のほか、多量のガス放出に関しても謎が多いのですが、このガスの起源に関してはいくつかの説が出ています。例えば、皆さんの教科書(上の図)では、地下水が暖められて起きた水蒸気爆発が関与している事を示唆しています。一方、上記の欧米の火山学の教科書(著者はドイツ人の有名な火山学者、Schnicke博士)は、崩壊した山頂部の岩体が充満したカルデラの直下で、マグマの対流が狭い岩体の間を縫うように起こり、上昇してきたマグマがガスを分離・放出すると、重くなってまた深部(マグマだまりの一部)へ戻って行く、という循環を繰り返している、と唱えています(下の図)。

 

 アメリカ映画などで よくリビング・ルームや寝室などにインテリアとして置いてある Lava Lamp の中で、流体が上昇し、冷やされて沈むのを繰り返す、あの原理と似ています。

 

 また、三宅島の地下から神津島の方へ抜けていったマグマですが、海底ではマグマの流路に沿って地震が多発し、三宅島の西沖では海底噴火も起こりました。そして神津島では震源の浅い(火山性の)大きな地震が起こり、崖崩れなど大きな被害が出ました(下の図)。新島や式根島付近でも地震が起こっています。

 

 昨年の4月に三宅島では震度5強を含む大きな地震を立て続けに記録し、震源が三宅島の西方沖10km(震源の深さ20㎞)だったため、西暦2000年の噴火で、三宅島から神津島へ抜けていったマグマだまりの挙動と関係あるのでは?噴火の予兆では?と一時 騒がれましたが、今の所、はっきりした噴火の予兆は出来ていないようです。詳しくは、以下のリンク先をご覧ください。

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%AE%85%E5%B3%B6%E8%BF%91%E6%B5%B7%E7%BE%A4%E7%99%BA%E5%9C%B0%E9%9C%87

 

 さて、この雲仙と三宅島の噴火予知の(少なくとも噴火開始直後までの)失敗例ですが、本当に予測は不可能だったのでしょうか?雲仙の場合は普賢岳の1991年の噴火の200年前にあたる1792年に島原迷惑肥後迷惑の溶岩ドーム形成→山体崩壊と岩なだれの大噴火がありましたし、三宅島の2000年の大噴火とカルデラ形成に関しても、2500年前に(カルデラの直径に関しては)ほぼ同じ規模の噴火があったことが以前から解っていました。

 

 つまり、数十年周期の小規模~中規模噴火の繰り返しではなく、数百年~数千年周期の大噴火の周期も歴史的・地質学的な研究から導けたのでは?そのような長周期が存在するのでは?と考えるのは自然な事で、実際そのような周期が存在すると、火山噴火に限らず、地震や津波などの災害に関しても考えられています。ただ、その前に、小規模~中規模の噴火・地震でも、集中的に(頻繁に)起こる時期と、あまり起こらない時期が繰り返される、という「(地殻)変動期」の考え方を知っておく必要があります。そう考えると、三宅島の2000年の噴火が予想より早く起こった事や、富士山が宝永噴火以来、長い間休止状態にあった事も説明できるからです。そう考えると、予想が外れた、とは言い切れませんし(変動期の考え方は昔からあるからです)、「歴史は繰り返す」という金字塔の格言が、三宅島や富士山のような例にも(変動期内と変動期外での周期の変化を考えて)当てはめやすくなるからです。

 

 さて、この(地殻の)変動期ですが、一番研究されているのが、地震についてです。巨大地震は変動期の中で集中して(頻繁に)起こる、というのがその根本となる考え方ですが、まずは以下の図を観て下さい。過去に起こった地震のマグニチュード(Magnitude)が縦軸で、横軸がその頻度(年間の発生回数)です。小さい地震ほど圧倒的に多く、巨大地震ほど少なくなります。また、マグニチュードは1つ数字が大きくなるたびに、エネルギー量が約32倍になりますので、マグニチュード1,2,3・・・というのは、1、2、3と増えていくのではなく、指数的に1、32倍、1000倍・・・と増えていくものなのです。そうやって過去100年間の巨大地震をプロットすると、1960年のチリ地震が最大(マグニチュードMw が 9.5)、1964年のアラスカ地震が2位(マグにチュード9.2~9.4)、2004年のスマトラ沖地震が3位(マグニチュード9.0~9.3)、そして2011年の東日本大震災が第4位(マグニチュード9.0~9.1)です。注意してほしいのは、火山も同じような噴火をした例が130年前に起こっている事(インドネシアのKrakatoa火山)と、あともう一つは、東日本大震災のエネルギーは広島型原子爆弾(マグニチュードに換算すると6.2くらい)の2千数百発分のエネルギーに相当する、という事です(マグニチュードは1増えると32倍、2増えると約1000倍になるため)。

 

 以下の図は20世紀以降に起こった地震のエネルギーを比較したもの。上記の4つの巨大地震を合わせただけで、過去110年ちょっとの間に起こった地震の総エネルギーのほぼ半分になってしまう、という事を示しています。つまり、地震ってしょっちゅう起こっていますが、これによって地球に溜まったひずみのようなエネルギーが均等に、あるいはあまりバラつきなく分散・解放されるわけではない、という事です。いやそれどころか、地震の大きさにはかなり偏りが(指数的な大きさの差が)あるのです。

 

 また、これら20世紀以降に起こった地震をその発生時期について分布を調べると、意外な事が解ります。以下のスライドは先述のNHKの番組の続編(2013年放送 The Next MegaQuake 第1回 巨大地震 『”大変動期 最悪のシナリオ”に備えろ』)から転用したものです。

 

 下の図で、横軸が巨大地震の発生した時期、縦軸がその大きさ(マグニチュード)です。そうすると、これらの地震は等間隔に起こるのではなく、ある短い時期に集中して起こっている事が解ります。

 

 例えば、上のグラフで1960年のチリ地震と1964年のアラスカ地震は最初の巨大地震集中時期(1950~1966年頃)に、2004年のスマトラ沖地震と2011年の東日本大震災は二番目の巨大地震集中時期に(2004年以降)に属している事が解ります。このように、地震の発生しやすい(地殻変動が盛んな)時期を(NHKの言う、狭義の)変動期と呼び、20世紀に入ってから約50年間隔で起こっている事が解ります。それ以前については観測技術が進んでいなかったので、地震の正確なマグニチュードなど解りませんが(古文書や被害の報告書などから震源と震度・マグニチュードの推定はコンピュータなども使ったシミュレーションで幾分されてはいますが)、少なくとも変動期が20世紀に入ってからだけでも、2度も起きているという事が解ります。しかも、2番目の変動期(2004年以降)がまだ終わっていないのではないか、これから10年どころか数十年は続くのではないか、という考えを持つ地震学者が少なくありません。それは、1964年のアラスカ地震のあと、余震が10年間で1万回以上も続いたこと、また2011年の東日本大震災と同じ震源域・同じ大きさ(推定マグニチュード、津波浸水域など)の貞観地震(後述)が約千年前の平安時代に起きた時には、その前後約半世紀に渡って巨大地震を含む大きな地震や津波、大規模な火山噴火が多発したという史実が歴史的・科学的に十分な証拠と共にあるからなのです。

 

 それではなぜ、地震が多発したり巨大地震が起こると(つまり変動期に入ると)火山が噴火するのでしょうか?それはこの授業でも第二回目の授業で学んだ、プレート・テクトニクスを考えると割と簡単に理解できます。ちょっと復習してみましょう。上の図は世界の火山の分布図ですが、特に太平洋沿岸に集中していますよね。これは地震の多発地帯の分布とほぼ一致しており、火山・地震ともに大きな物がプレートの境界(特に沈み込み帯、Subduction Zone)で頻繁に起こるからです。

 

 プレート(例えば太平洋のプレート)が他のプレート(例えば、日本の陸地のプレート)の下に沈み込むと、上側のプレートは沈み込むプレートに押されてだんだんひずみが溜り、ある日突然プレートが跳ね返る事によってひずみが解放されるのですが、こういった時に地震が発生します。小さいひずみに対して頻繁に跳ね返りが起これば、小さな地震の多発で済みますが、プレートが小刻みになかなか跳ね返ってくれないと、長い年月の間に大きなひずみが溜り、上側のプレート全体(例えば日本列島全体が)変形し、半世紀どころか数世紀、10世紀に一度といった(超)巨大地震を起こすのです。その前後にはプレートの一部(例えば、紀伊半島の沖など、狭い地域)でひずみの小さな解放があるでしょうから、巨大地震の前後には、小~中規模の地震が多発しますし、大地震どころか別の巨大地震が(日本列島など、広域地域の他の場所で)数年~数十年内におこる事があります。実際、2004年のスマトラ地震の後にも数年後に付近でかなり大きな地震が起こりました。アラスカ(1964)など、ほかの巨大地震でもそうです。

 

 そうやって、沈み込むプレートの上に載っかっている(日本のような)陸側のプレートに横方向の圧力(応力・ストレス)がいつもに増して強くかかるようになり、陸側プレート・地殻内の ひずみ(圧縮状態)が過剰に溜まりると、先述のように巨大地震を起こしたり、大型地震を多発させやすくするだけでなく、火山の噴火にも影響してきます。(巨)大噴火が起こりやすくなり、その前後の中~大規模噴火の頻度も増加するのです(つまり、三宅島の例のように、見かけ上の周期が急に短くなる、予想よりもはるかに噴火が、しかも大噴火~巨大噴火が、まるで突然のごとく怒るのです)。このプレートの圧縮と火山活動の増加の関係ですが、ちょうどケチャップやマヨネーズの柔らかいプラスチック(チューブ)ケースをから横の両面から強く広く押すと、中身が奥から絞り出されるように出てきますよね(蓋をしたまま、このように強く押すと、蓋が吹っ飛んで、部屋中にケチャップやマヨネーズが散乱するでしょう(よい子は真似をしないで下さい)。ちょうどこのような感じで火山の噴火活動が増加するのです。

 

 実際、巨大地震の前後には火山の大規模な噴火がある事が昔から知られています。

 

 例えば、アラスカの巨大地震(1964)の前後には付近の火山の多くは、1920年頃から長期に渡って(地震のあった1964年から50年前後の枠内で)噴火しています。

 

 震源のアラスカ州 アンカレッジ市に近いRedoubt 山(リダウト山:以下の写真)は 1989-90 年に噴火しています。

 

 また、2004年のスマトラ沖地震とその余震と言われるジョグジャカルタ地震(2006年:これも大きな地震)の際には、インドネシアの火山の幾つかが地震のわずか2年後から大噴火を起こしました。

 

 中でもよく知られているのが、メラピ山の2006年の大噴火です。多量の火砕流を発生した事で有名です。

 

 それでは日本の変動期の例を観てみましょう。

 

 下の図は、2011年の東日本大震災の前にGPSなどにより観測された、日本周辺のプレートの速度です。東北沖の太平洋プレート(Pacific Plate)は年間約9センチものスピードで日本海溝から日本列島の下にもぐり混んでいます。これはその南西にあるフィリピンプレートの速度(年間約4センチ)の2倍以上の速さですから、日本列島全体が太平洋プレートの盛んな沈み込みによって横方向に押し曲げられて変形し、ひずみがかなり溜まっていた事が伺えます。

 

 これにより2011年の東日本大震災が起き、その後も余震が続いていますが、実は火山活動も活発になり、先のNHK特集の番組「Megaquake II 第2回(2012年放送・火山編)」などによると、全国で20以上の活火山が更に活発になったと報道されています。以下のスライドはそのNHK特集から転用したものです。

 

 震災の一年近く前に噴火した新燃岳(宮崎~鹿児島)も東日本大震災と関係あるのではと考える方も居ます(下の写真)。三宅島の西暦2000年の大噴火も2011年の東日本大震災と関係があるのかもしれません。

 

 このように、自然災害や防災・減災は火山、地震といった具合に別々に考えるのではなく、原因などを関連付けて考えるべきです。そうすれば、噴火の起こる時期や、地震・噴火の多発しそうな地域など、ある程度推定する事が出来ます。実際、私が震災直後に行った(先述の)英語講演でも、震災を数種類一緒に学ぶように勧めました。それが下のスライドにあるように、講演のサブタイトル(副題)やイラストに如実に表れています。

 

 さて、2011年に起きた東日本大震災とその前後に起きた地震と火山活動ですが、

「過去20年ほどに日本で頻発する大地震・火山噴火が9世紀後半の日本で起きた地震・火山災害と震源・噴火地点・津波による浸水地域などと、とてもよく似ている」

という事が実は2007年には既に知られていました。過去20年の噴火は先述の雲仙・三宅島・新燃岳のほか、有珠・鳥海山・桜島・浅間山など数多くありますし、地震に関しても(2007年の時点でも)阪神大震災、新潟中越地震、北海道西域地震と津波、中越沖地震など、やたらと大きな地震と犠牲者が発生した時期でもありました。

 

 以下の図はその類似性を指摘した論文(千葉大学の津久井先生が2007年に発表したもの)からの引用です。9世紀後半というのは、古文書など、文字による記録が残っている古代から現在までの1500年近くに及ぶ日本の長い歴史の中で、最も火山活動が盛んだった時期で、巨大地震や津波も起こりました。つまり、我々が今突入しているかもしれない変動期は先述のNHKの番組でいうような半世紀周期の物では終わらず、実は約千年周期(正確には約1100年周期)の大変動期ではないのか?というのがここ数年メディアなどを通じて政府が危惧している最悪のシナリオ(最悪の場合の可能性)です。例えば、この大変動期の1100年周期が正しいとすれば、東日本大震災の津波が1100年前の貞観地震と津波と震源・浸水範囲共にほぼ一致しただけでは済まないのです。例えば、以下のスライドで、南海トラフで887年に連動型(広範囲同時発生)の地震と津波が起こっている事が解りますね(しかも、貞観地震と津波の18年後です)。この事は最近の政府の広報活動、NHKをはじめとするメディア報道「南海トラフの連動型地震と津波が起こると、最悪の場合、33万人の犠牲者が出る」と一致しています。つまり、「歴史が繰り返す」というのが1100年とういう長い周期で(しかも大規模に)起こる可能性を恐れているのです。最近の地方自治体による犠牲者の計算は政府の見積もりよりも大きく、被害は予想以上になる可能性がある、と指摘されていますが、この辺は皆さんもメディアの報道を定期的にチェックし、防災対策など、自分に出来る事から始めて下さい。

 

 さて、この9世紀後半の盛んな火山活動ですが、下の拡大図に示すように、日本を真ん中から東西2つに割るような線(新潟~長野~静岡を通る フォッサマグナ・大地溝帯 と、その延長の富士山から伊豆諸島に伸びる線上に集中していました。地震活動もこのライン上と、先述の海溝沿い(貞観地震 震源の日本海溝沿いと、南海トラフ)で起きました。これはプレートの盛んな沈み込みにより、日本列島全体が圧縮されて、真ん中で折れたように変形していた事を示唆しています。

 

 なかでも火山活動についてみてみると、富士山は貞観地震と大津波の前後に4回噴火しており、伊豆大島も3回、八丈島・三宅島・新島が数回、神津島・御蔵島も噴火、というように、伊豆諸島では大規模な火山活動がひっきりなしに起こっていました。

 

 まずは神津島を観てみましょう。最近の島ガールのブームで一番注目されている島です。

 

 神津島は9世紀後半を中心とした一連の大変動期のなかでも、一番最初に大噴火を起こしたところです。ここはもともと小さな低い島だったのですが、838年に大噴火を起こし、深い所から流紋岩質の珍しい(もっとも二酸化ケイ素に富み、白くネバネバした)溶岩が地上に湧きあがり、大きな背の高い島となりました。その時に出来た釣り鐘状の(大きなドームを取り囲む崖を作りやすい)溶岩が冷えて出来たのが、天上山(標高571m:以下の写真)です。

 

 また、このような変動期には粘性に富んだ(二酸化ケイ素の多い)溶岩が多く地表に現れ、釣り鐘状の山や溶岩ドームを作る事が知られています。上の写真の神津島・天上山もそうですが、2010年に噴火した新燃岳も粘性の高い溶岩がドーム(というよりも、それが平べったくなるように成長し、餅状)の形を山頂に形成したのも、変動期を裏付ける証拠かもしれません。下の写真は天上山の溶岩の拡大写真。アイスクリームが溶けてタラ~ンと垂直に垂れたような感じがするでしょう?溶岩もそうやってタラ~ンとゆっくり流れ、高角度で垂れながら冷えて固まったのです。

 

 さて、この神津島の噴火の様子ですが、当時は地震計やGPSなどの観測器機も技術がなかったとはいえ、古文書に噴火の記録が日時だけでなく、噴火形態についても残されています。当時の人たちは当然「水蒸気爆発」など、科学的な観察・調査はしていませんでしたが、見たもの・聞いたものを後世に伝えるために、文字・口頭による伝承(詩や歌も含む)の他、絵や石碑などにして残してくれたのです。

 

 スマトラの大地震の後イギリスを中心に、また東日本大震災の後では日本でも、こういった古文書・伝承・美術品・石碑などの大切さや価値をあらためて見直し、再評価しよう、できれば科学のメスも入れて災害が伝えられた通りに起こった事を実証しよう、という動きがあります。

 さて、それでは神津島に残る伝承の例を観てみましょう。

 

 神津島の836年の大噴火を伝える生存者・避難者たちからの伝承がある事は、報告を受けた朝廷が噴火の2年後に編纂した古文書「続日本後紀」に記載されています。以下の写真はその伝承についての展示をしている神津島郷土歴史博物館の写真です。

 

 以下のスライドの右半分が原文の記載、左半分が現代日本語への訳です。現代語訳をちょっと読んで、何が起こったのか、考えてみて下さい。

 

 これは私の解釈ですが、「島の左右の海中まで焼き」、というのは火砕流が多量に発生して、島の左右両側の海へ達した、という事でしょう。その後の12人の童子というのは、多分海面の上を走る火砕流やサージの事でしょう(皆さんがモントセラート島のビデオで観たようなやつです。火砕流は夜見ると赤やオレンジ・黄色に燃えるように見えますからね)。また、大岩は震え持ち上げられ、というのは山体崩壊や岩なだれ、と考えても良いのですが、先ほど見た天上山の写真の様子と一致しますから、粘性の高い溶岩が地表に現れ、成長して冷えて、高さ551mの天上山が出来た、という事でしょう。大岩が震えの「震え」というのは火山性地震の事かも知れません(西暦2000年の三宅島噴火後の神津島の地震のように)。「火をもってそれ(大岩)を押しくだき、炎揚は天に達しました。」というのは、雲仙のように溶岩ドームの崩壊と火砕流・サージ・噴煙の噴出の事かも知れません。

 

 このように、解釈はいくらでも出来るのですが、誇張された伝説の可能性が(特に英雄伝説と組み合わさった場合は)あるので、こういった古文書の解釈にも科学のメスを入れ、記述の一つ一つを実証していく必要があります。

 この天上山の大噴火が起きたとき、島の長老的な方がきっと居たことでしょうね。そうやって火山だろうと、津波だろうと、大地震だろうと、古来から民間の伝承が伝えられるのです。

 

 一方朝廷は何をしたのかというと、山の怒りを鎮めるために、神津島など、噴火を起こした島(や本土の火山)にあった神社の位を上げ、山の神様のご機嫌を取ろうとしたのです(下の写真)。全国の神社を監視する朝廷としては、その位しかできる事がなかったのでしょうね。現在の科学技術を持っても、火山の噴火や地震・津波を止める事はできませんし。

 

 それでは次に新島の例を見てみましょう。

 

 新島の位置をもう一度下の図で確認して下さい。ここ数年、地震活動・火山活動のある島です。 

 

 下が新島の拡大図です。

 

 下の写真が、新島の白い崖とビーチの様子。886年(貞観地震から17年後)の大噴火で出来た崖で、色が白いのは噴火の際に火砕流などによって発生した軽石が積もって地層を成しているからです。ビーチが白いのは、その軽石が波で砕けて砂になっているからです。このため 新島のビーチの白さは日本で第一位です。

 

 新島と言えば、サーフィン。国際大会も数年に一度行われているため、世界中からサーファーたちがやって来ます。

 

 さて、この新島ですが、886年に噴火するまでは、島の北端に狭い陸地があったのみで、島の中央部~南部に至る地域は海の中でした。下の写真は噴火によって出来た向山です。先述の軽石も、この山の山頂から発生した火砕流で運ばれて堆積し、崖になったものです。

 

 西暦886年の1月に最初の噴火が海の中で始まり、その時の爆音は京都まで伝わった程でした。朝廷は毎日の様子(朝雨が降って、午後のいつ頃止んだか、など)を詳細に記載しており、噴火のあった日は、爆音(多分、ごく小さい音)のため、京の町で牛車を引いていた牛たちがビックリして飛び跳ねた、とあります。伊豆半島の駐屯地に朝廷から元々派遣されていた役人が、海の方を見ると、今の新島のあたりから大きな煙が上がっているのが見えたそうです。煙はしばらくして収まるのですが、その約半年後、西暦886年の6月にまた爆発と大噴火が始まり、今度も爆音が京都まで届き、牛車を引く牛たちをビックリさせました。

 

 この爆音ですが、聞き覚えありませんか?そう、昨年の2月にロシアに落下した隕石が、付近の町(日本の仙台市くらいの人口の町)に大きな爆音と衝撃波をもたらしましたよね。

 

 窓ガラスも割れてしまいました。

 

 このような現象を空振と呼びますが、実は大きな火山の爆発に伴う事が多く、隕石よりも火山に伴う空振の方が頻繁かつ有名です。先の京の町の牛たちも、新島の爆発に伴う空振に反応したのだと考えられています。

 

 空振は音速を超える物体(山体崩壊などの爆発や大気圏に突入した隕石など)が周りの空気を振動させる事によって発生します。伝わるのは空気を振動させるエネルギーであり、山体崩壊に伴うサージ・ブラスト(音速を超える事があり、火山灰など細粒の物質を低密度で含む)とは異なります(同時に発生する事はよくありますが)。従って、窓ガラスを割るような衝撃波自体は(つまり空振自体は)音速を超える事はありません。山体崩壊のサージやブラストと同時に発生した場合、火山の近辺(数キロ内)では音や衝撃波(空振)よりも先にブラスト(サージ)による低密度の物質が莫大な破壊力と共に到達する可能性がありますが、ブラスト(サージ)の到達域は普通火山から半径10キロ以内なので、噴火の可能性が高い活火山の直ぐ近くに居ない限りは、そんなに心配しなくても大丈夫です。ブラスト(サージ)が音速を超えない場合も多いですし、はっきりとわかるような空振を伴わない場合もあります。

 

 さて、それでは他の重要な歴史噴火の例を、東アジアとヨーロッパの例をもとに観てみましょう。

 

  まずは、インドネシアのクラカトア山です。1883年に大噴火を起こし、島は吹っ飛んで、当時の人口で36,417人が犠牲となりました。今だったら島の周辺だけでも40万人の方々が犠牲になると言われています。また、この時の爆発はすさまじく、津波が発生してジャワ島などを襲い、火砕流は40キロもある海を越えてスマトラ島の山がちな海岸に上陸し、麓の村を(分離した熱雲サージで)焼き尽くしました。上のスライドの右はその話がBBCによって2004年に映画化されたもの。その時、焼き尽くされたはずの村で、唯一小屋の奥に隠れて(火傷だらけになりながらも、赤ちゃん一人とインドネシア人のベビーシッターを除いて)助かったオランダ人4人家族(実話)を演じる役者さんたちです。

 

 この島が吹っ飛ぶ、という前代未聞の大噴火は、当時欧米が植民地に設置したばかりの電信(モールス信号)システムを使い、世界中に速報が伝えられました。これが世界初の世界配信のニュース速報となったのです。また、それに先立ち、クラカトア噴火に伴う爆音(空振)はアフリカにまで伝わったという記録もあります。

 

 あと、この噴火の影響で、大量の火山灰とエアロゾルが地球を取り囲み、ヨーロッパではその後1~2年間は冷夏のほか、真っ赤に焼けるような夕日が見られるようになりました。(19世紀初頭のインドネシア・タンボラ火山噴火の際にも似たような事があり、赤い夕焼け空をイギリスの巨匠Turnerが油絵にし、1~2年前にも東京の国立西洋美術館で展覧会がありました)。しかし、このクラカトアの1883年の噴火に伴う燃えるような夕焼けの出現は、ある壮大・著名な美術作品を生み出したのです。こちらがその夕焼けの空の様子。

 

 どの有名絵画か解りますか?そう、こちらの作品です。

 

 あと、歴史的噴火のヨーロッパの例として、忘れてならないのが以下の2つ。まずは、こちら、ポンペイの町を低温火砕流で埋め尽くした、ベスビオス山の西暦79年の噴火です。

 

 ポンペイの町が大変だ!という知らせを受けて、救出に向かったのが、ナポリ湾に停泊中の艦隊を率いるプリニウスです(以下の写真左の大プリニウス。写真右は彼の甥)。

 

 みなさんの学んだプリニー式噴火(プリニウス式噴火)の語源となった人です。そう、プリニー式噴火とは、西暦79年のポンペイの町を破壊したベスビオス山の噴火の規模が元になっているのです。

 

 このプリニウスさん、艦隊を率いてナポリ湾を横切り、ポンペイなどの町を救出しようとしたのですが、その途中で船員たちと共に亡くなってしまいました。火山ガス(二酸化炭素)による窒息死という見方が強いです。

 

 その火山噴火からプリニウスの救出劇までを記述し、我々後世に残してくれたのが、プリニウスの甥っ子(先のスライドの右側)です。このため、先述のスライドの左を大プリニウス、右を小プリニウスと呼びます。

 

 このベスビオス山ですが、18世紀に噴火を起こした時には火砕流がナポリ市街にまで入ってくるという大惨事も起こしています。↓

 

 その後も噴火を繰り返していますが、1944年以降は目立った噴火はなく、逆に長い休息時間→次の噴火の危険性の増加、という図式から近年監視体制が強化されたり、避難訓練が一部の地域で実施されているそうです。いざという時には軍隊も出動するらしいです(私の友人のイタリア人カメラマンから教えて頂いた話です)。あと、一年前ですが、イギリスの新聞に、「ベスビオス山はいつ噴火してもおかしくない。」と掲載され、話題となりました。

 

http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/europe/italy/10291443/Mount-Vesuvius-could-erupt-at-any-time.html

 

 もうひとつ覚えておくべき噴火が、ギリシャの有名な観光地、サントリーニ島の大噴火です。以下のスライドにまとめてあるように、歴史的に、非常に重要な火山噴火で、今でも発掘調査が続いています。

第6回復習問題.rtf
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